ラオスの観光案内  



Travel Laos

MAR.2003


◆ラオス(Laos)

 ラオスはインドシナ半島の中央にある内陸国で,5カ国(中国、タイ、ベトナム、ミャンマー、カンボジア)と国境を接している。
 国土は236,800km2で日本の本州の大きさに匹敵する。国土の7割が高原か山岳地帯でありベトナムとの国境沿いにルアン山脈が連なっている。
 ラオスに多くの恵みをあたえ交通の手段ともなっている母なる大河メコン川はラオス国内を1900kmに渡って流れており、ラオス西部ではこれがタイとの国境になっている。南部では川幅が14kmにも達し,滝、島を作っている。

★ビエンチャン(Vientiane)


 ラオスの首都であり最大の都市である、人口は約45万人、メコン川流域の河岸平野の中央部、河口から1,584 kmさかのぼった左岸に位置し、対岸はタイ領である。

 ルアン・パバーンからここビエンチャンに都が移されたのは1560年,現在でも政治文化の中心地で河川及び飛行機、道路により国内各地へ通じている。

 首都と言っても大きなビルは無く樹木が多く茂る整然とした街並みの中にフランス統治時代の面影を残すコロニアル風の建物や数多くの仏教寺院がある。
 なお,空の玄関であるワッタイ空港新ターミナルビルが1999年に日本からの無償援助で完成し式典に秋篠宮殿下ごご夫妻が列席された。


アーヌサーワリー (Anousawari 独立記念塔・戦没者慰霊塔)



パトウ-サイ(凱旋門)とも言うが一般にはアーヌサワリーと呼ばれている。
 ラオス内戦で死んだ戦死者の慰霊塔で1960年に政府が建てたもの。
外観は、パリの凱旋門に似ている。

階段で屋上に上がるとビエンチャン市内が一望できる。




天井の内部には人や動物が美しいモザイク画として描かれている。

 タート ルアン(That Luang 大塔)


 
タート(塔)ルアン(大きな)の歴史は紀元前300年まで遡ることができ当時のビエンチャンの統治者チャタブリーによって建造された、その後はランサ王朝時代のセーター(ティラート)王が1566年に
ほぼ今の形に建造した。タートルアンは単なる仏舎利塔でなく、
アンコールワット時代の古塔の流れを汲んでいる大塔である。
 寺の基檀は東西60m南北61mで四辺の壁には323枚のセーマーが並んでいる、昔は一般人はこの聖域の中に入ることは許されなかった。上段のテラスは下は蓮華で上方を228枚の
セーマーで守られている.

また4方向に塔が立ち周りを302本の小塔が取り巻いている。
 全体が金粉で装飾されているところからゴールデンテンプルとも呼ばれている、
メコンに沈む夕日を受けて黄金色に浮かび上がる塔はそう呼ばれる相応しい。


★ タート ルアン祭 


旧暦の2月(1999年度は11月18日〜23日)にタートルアン祭りが開かれる。

 ビエンチャン最大の祭りで、朝早くから全国から托鉢の人々が訪れる。 
塔の周りは1週間前から夜店が並び夜ともなると野外ディスコがオープン,
普段シャイなラオス娘も、この夜こそは、と踊り出す様は何か昔の日本の村祭りを彷彿させる。




★ホ-パケーオ(Wat Hoh Pha Keo)
 

ホーパケーオもセーター王が1565年に建設したランサ時代の代表的建物である。現在の建物は1936年にフランス植民地時代に再建されたもので今は国立博物館となっていて当時の資料が展示されている。

 

首都をルアンパパバーンからビエンチャンへ移した時に本尊も同時に移して本尊のエメラルド(パケーオ)仏像を安置するために作られた、だが度重なるシャム(現タイ)との戦争で1779年に持ち去られ現在タイで有名なエメラルド寺院のエメラルド仏像はこの寺のものであった。

目の宝石エメラルド(ポーパーケオ)を削り盗られた仏像


この寺院はセーター王の保護寺院であるため僧がいない。扉の緻密な彫刻、6、9世紀の石の仏像、16、18世紀の仏像など、典型的なラオス仏教芸術品が陳列されている。


ワット・シー・サケット寺院 (Wat Shisaket)




1818年、アヌ王によって建立された。17〜19世紀はシャム(タイ)との戦争の時代でもあったアヌ王は1828年にバンコックで死去、これによりビエンチャン王朝は終わった。
 シーサケート寺院はビエンチャン最古の寺院である, 度重なるシャムの侵略に遭いながらも建設時の原形を良く留めており、歴史的に貴重な存在である。

本堂の壁画、回廊のあまたの仏像はその数6,840を数えるが、度重なる戦で目に入れられていた宝石類の多くは持ち去られている。



また入り口の扉の壁画はフランス植民地時代に塗りつぶされた。

 ホータイ(寺院の書庫、資料 収納所、仏像安置所)などが長い仏教の歴史を物語っている。



ワット・シームアン (Wat Simuang)

1560年にセーターティラート王がビエンチャンに遷都した後、王は寺院建立の適当な場所を探し求めた。3年後、土地が定められたのでそこに土台の穴を掘り始めた。その穴の上に大きな石があり、それを取り去ろうと大勢の人が、石をひもで結び引っ張ってみたが、石はびくともしなかった。その時、シーという若い妊婦は「この街の霊魂は誰なのだ」という天の声を聞き、即座に穴に身を投じた。するとひもは切れ、穴に落ちた石に当たってシーは死んでしまった。 そして寺院は建てられ、それ以降シームアンと呼ばれるようになった。シームアン寺院には古い石仏があり、悩める人々が石仏に願をかけにやって来る。

★ ワット・オントゥー (Wat Ongtu)
 

1510年、セーターティラート王によって建立された。当時仏教が栄え、数々の仏像が
造られた。扉や窓にはラーマーヤナ(インドの古代叙事詩)物語の彫刻が飾られている

境内に仏教学校があり日本の寺子屋の雰囲気を感じさせる。

★ワット・ミーサイ (Wat Mixai


 巨人像が立つ入り口の独特の門の色合いが美しい。
この巨人はラーマーヤナに登場するものです。
本堂の造りもビエンチャンでは珍しい作りになっている。

★ 革命博物館(Revolution Musuam)





 ラオスの古代から革命までの歴史や産物が写真、絵、武器、グラフなどで展示されている。

タート・ダム (That Dam 黒塔)
 

ビエンチャン市内の真中にある、黒塔,いわれは今一つ定かではないが、シャム(タイ)のラオス侵入の際このあたりに住む7つの頭を持つ竜がこの町を守ったといわれる。18〜19世紀からある塔。

★ 中央市場 タラートサオ(Talat Sao)
 
タラート(市場)サオ(朝)の意味で,モーニングマーケットとも呼ばれている。
 日常品や、食品、土産品、金、銀製品、輸入品などが一通り何でもそろう、ビエンチャンでもっとも活気のあるところ。横に日本の援助で完成した各都市へ行けるバスターミナルもある。





ワットシェーンクワン( Wat Xiengkhuan)


 別名仏陀パークと言われている。ビエンチャン市内からから南東、ミタパップ橋を超えて行ったメコン川沿いにある。
1958年霊能力を持つブルンアスリラットにより建てられた。 仏教のほかにヒンドゥー教やラマ教などを含む混合宗教で、横たわる巨大な仏蛇像や大きく口を開けた魚、矢をふりしぼった天使などの彫刻と言うかコンクリートの塊がある。


★ ナム・グム ダム( Nam Ngum Dam

 ビエンチャンの北部90kmにある水力発電用のダムで日本の援助によって作られた。ダムにより巨大な人造湖が誕生した、ここは谷の森林にそのまま水を溜めて湖水にしたため、チークの木があちこちに突き出しているが現在でも伐採が行われている。電量のうちの多くをタイの電力会社に売っていて以前は外貨獲得額1位であった。

 ダムによる人造湖は1日郊外観光に最適で取れたての魚を出してくれるレストラントがある、またダム周辺の森、川の自然や、途中の仏教史跡、近くの塩の精製工場などももみることができる。


○スアン・サット Suan Sat (ラオスで唯一の動物園)


 ビエンチャンから14kmのター・ドゥア道路沿いに、スース・ガーデン(スアン・サオヌム)という広大な公園があり、その一隅に動物園がある。


○コークサアート塩田 Khok Saat

地下の岩塩をポンプで汲み上げて天日で干したものを工業用に、釜で煮詰めたものを食用にしている塩田。

お土産に買う日本人が多い。