50年前の日本と現在のラオス

2009-12-07

米塚廣雄/VTE

 ラオスに居ると「あれ?確か昔日本で普通に有った光景・・」と思う場面に出くわすことが多々あります。 今日は、そんな事に触れてみましょう。

2009年12月6日、ラオス、ドンドックに新築中の家の進捗具合を点検に家族皆で来ました。

家は先週屋根が上がりましたので、外観は家らしく整い随分格好良く成りました。

作業員、今日は赤く地肌が見えるレンガの上にモルタルを塗っています。
この
8人の作業員は皆妻の実家のあるサムヌア市の出身者(ラオスの最北の県の首都、バスだとVTEから途中ルアンパバーンで一泊して行くので2日掛かる。ただ、隣の国越南へはバイクで30分で行けるとか・・でも、私はまだ行ったことが無い。)

今回のこの家のモルタル工事代金、全部で$870の契約との事・・

 
作業者のスゲ笠がいかにもアジア、でもこれは軽くて蒸れなくて・・とても便利・・
私、現場監督しますが、正直言ってヘルメット嫌いです。



   
  広い玄関の踊り場は夕風に誘われると・・
     Laos Beer Barになるはず・・


      

おおお!!豪邸に見え出してきた・・日本なら車のコロナ1台分の価格200万円で建てられる家
 には見えないでしょう。 やはりこれを見ても日本と比較するとラオスの物価と収入は
やはり1/10かな??


出世した村の出身者が仕事の無い村の若者を呼んで仕事/金を与える互助のシステムは50年前の日本の産業構造と同じでしょう。女として、金持ち日本人(と思われている。)と結婚したなんてラオス最北端の県の人には出世状態に決まっています。

 このような場合、多くの建設労働者は現場の横に小屋を建てて住みながら工事を進めます。

    
      基礎工事のメンバー、ジャンパー姿がプロの監督。


 この構図は現在のタイの私の現在の仕事であるヤクルトの工事現場でも状況は同じです。 

労働者は東北地方(イサーン)出身者かラオス、カンボジアからの出稼ぎ労働者です、中には子供を親に預けて夫婦で出稼ぎもあります。 タイの場合は
1800円〜1,500円位の出稼所得です。 ただし若くて美貌の女性で肉体労働が嫌ならば、有名なパッポンとか日本人ご調達のタニヤの飲み屋街への天分を生かした出稼ぎのパターンになります。(私の出身の浜松へ来るブラジル人出稼ぎ労働者(彼らはおじいさんが日本国籍を捨てなかったので日本人として入国している。)も基本的に同じ構図ですし。僅か50年前の日本、家長相続で土地を貰えない次男以下の東北出身者が食うためには中卒で東京へ流れたのと全く同じ構造です。)

彼らの住まいは竹で囲んだ小屋、そして家の屋根が掛かれば今度はその家の中に住みながら建設工事を進めます。勿論経費節約の為自炊ですが・・私の家の場合は作業者がサムヌア出の親類の人々ということも有って、妻がご飯と、おかずを毎回配達に行きます。

   家の建設日記です。

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ガキ大将登場

 翔と龍は早速近所の子供の家に行って遊び仲間を連れて家の工事現場へ戻ってきました。

その中の小学校4-5年生のガキ大将と言うかリーダーでしょうか、家の前の木(タマリンド)に登り始めました。どうもこの木の実が食べられる様です・・そしたら2番手として9歳くらいの女の子まで木に登り始めました。 上方の枝からガキ大将が木の実をどんどん?ぎ取ります。

 降りてきた彼は最後には今日の収穫を披露して皆に分け与えます。下で待っている子分はそれを美味しく頂くのです。 

 こうやって子分は遊びながら、どんな木の実が食べられるのか? それはどうやって捕獲するのか・・・良きリーダーの基で学ぶことになります。 そして自然の恵みに育まれて生きていることを実感するのでしょう。

今やこんな遊びさえできなくなった日本・・その結果、年齢差、男女の性別の違い子供でも人間は個性があって人は皆一緒ではない・を実感して遊びながら集団行動学を学習する。ガキ大将の先輩から多くを学びそして次は自分がその役割を担いやがて子分へ伝えて行く・・そんな「子供自然塾」がもう日本では無くなりました。


・・日本ではあくまでも平等に・・も教育から・・個性化教育へ・・あれはどんな成果を上げたのでしょうか?・・


 その結果自分と違う人間を認められる許容範囲が狭くなり・・自分と違う他人を認めることができない人間に成って行きます。 自己中心の価値観しか認められず、ちょっとでも自分と違えば ウザイ!キモイ! となります。 その結果、直ぐに「キレル」排他的・・暴力的・子供→大人が生まれるのではないでしょうか?

    

木登りする女の子。(日本だと先生、親が直ぐ禁止処分?!)

    

取れた木の実とガキ大将。戦利品

   

ガキ大将にタマリンドを強制試食させられる龍。
     (結局こうやって自然の恵みの味を体験学習して行くのだ!)

 おっと! 翔と龍はその辺の小枝を折ってチャンバラを始めました、こんな遊びは教えなくても直ぐに覚えるのですね。

   

 子供はやはりチャンバラごっこ。(こういうのは教えなくて覚えるのですね・・
  人間は本質的には好戦的?
 

    

ワタチュニモ 頂戴! ウーパーちゃん、3歳。

    

     ご近所さまご一行。

アーティスト・ジイジ 登場

 子供が集まって賑やかになったのを嗅ぎ分けたのか隣の家のジイジがヒョコヒョコとやって来て、何やら庭で砂とセメントを混ぜてコネリだしました。ラジオを聴きながらコテを器用に使って作り上げ子供達にご披露したのは、ライオン(らしい?)とか犬・・

 こういう年代を超えたお年寄りを尊敬する機会の交流も日本はもう無いのですね。

   

   芸術家 登場。

   

これはライオン?イノシシ?横でラジオを聞きながら・・

コンクリート・ジャングルに住んで、綺麗なAC付きの個室を与えられ・・一人でTVゲーム夢中になった結果。他人の考え、反応を見ながら言葉を選んでの会話が無くなった日本の子供達・・・結果、自分と違う他人との会話、付き合い、ができなく直ぐにキレル人間が多くなった日本・・・勿論、これは貧乏国ラオスと異なり政府主導で国の経済が発展した結果得られた事なのだが・・・

私はこれを引き換えの論理と言っている・・「お金は豊かになり、かつ、心も自然も失いたくない・・」 50カ国程歩いたが・・やはりそういう楽園の国にはお目にかかったことは無い・・「妻も失いたくないが可愛い2号も欲しい・・」みたいな勝手な希望・論理、いや欲望だと思う。

でも、今、自分目の前で繰り広がれる子供達の光景は・・確か50年前の日本では普通のことだったのでは・・・

 これは、まさに先週NHK ?World TV で観た 井上揚水の 「夏物語」に歌われている光景ではないのか・・・

 2009年12月 家新築現場にて・・

米塚廣雄

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タマリンド、チョウセンモダマ
(マメ科) Tamarindus indica L.
 
 タマリンドは、学名の種名に indica(インド産の)とあるが、原産地は熱帯アフリカである様だ。タマリンドは高さ20m以上の高木になり、熱帯各地では街路樹として利用されている。
 タマリンドの栽培は主として熱帯気候で行われているが、熱帯地域の標高1,000m以上の高地でも栽培されるなど耐寒性をもち、成樹になればアボカドやライムより耐寒性があると言われる。石垣島で結実するとの話がある。

タマリンドの果実(街路樹)

 10cm程度のサヤの内部に種子があり、種子周辺に干し柿を潰した様な暗紫赤色の果肉(果種皮)がついており、そこを可食部とする。果肉(果種皮)は酸味が強く調味料や飲料、ジャムとして使われるが、中には干し柿に似た味の甘い可食部をもつ「スウィート・タマリンド」と呼ばれる甘味系統が存在する。また種子も油で揚げたり、茹でたり、炒ったりして食べる。また粉にして主食の代用にすることがある。
 十分に成熟した莢は膨らみ、果皮は赤茶色になり固くなる。貯蔵期間も長く、上手く保存すれば、生のまま3ヶ月以上の日持ちがする。

莢を割ったスウィート・タマリンド

※このページのタマリンドの写真は、管理人がタイで撮影したものである。
  「莢を割ったスウィート・タマリンド」の写真中央左の丸いのは500円硬貨である。



 

感想文続々到着


08DEC.2009

UUです。

日本では、豪邸です。 日本の家だと玄関に雨よけの屋根がそれほお広くはないか、全
くない。
土地は、広く贅沢です。 北海道に行ってもせいぜい100坪

ラオスのガキ大将は私の小さい頃そのものです。 山に入って、栗、アケビ、クルミ、
イチゴ等を良く取ったものです。 今の日本は、果物が豊富なのでそんな事をする子供
は居ません。 先日、実家に行ったら、蜂蜜が自家製で取れるが子供達は食べないそう
です。 私の小さい頃は、蜂蜜は貴重品で、農家の副業養蜂家は、蜂蜜で儲けて子供二
人の大学の学費を稼いだとか。

08DEC.2009

米塚様
MMです。

楽しい、お便りです。
こうして暮らせる、子供たちは、精神健康ですね。
この状況でもやっぱり、学者は出てくるでしょうし、音楽家も然り。
そうした人たちが本当の天性を持ったプロになれるのでしょう。
佐鳴学院製造では、この区別がつきにくくなるのが問題です。
特に、本人が勘違いするのが一番罪が大きい。

 私の兄も、後一ヶ月で定年。小学校に入る前から、後ばかりついて、兄の真似をつづ
け何とか飯を食ってきた、私に本当に天性はあったのか。
 出来上がった御家から電波が出るのを楽しみにしています。私に買える新築祝い考え
ておいてください。

50年前は私が生まれた年

沖縄はまだ「着物」だった。
洋服や電気が通ったのは、その後だった。
我が家の本妻宅は、1900万 土地2200万であった。
ずばり、1/10である。
建設中は、毎日通って写真取っていた
(後で手抜き工事の証拠写真とるため)

結果
本当に手抜き工事が発覚して
電気工事代金の一部、20万は払わなかった。

50年前なら歴史がどう流れるのかわかる
バブルも土地ブームも
なら
投資でもしますか?
土地をいっぱい買う?

損しない程度の投資が出来そう。。

家の中に無線局の施設がまだ無い
来る開局の為にアンテナタワーや
電気配線も必要です。

配管と配線は大きめに。

元 ガキ大将

米塚様


読ませていただきました。子供が登った木はタマリンドです。サルが好んで食べますが、実が若いときから、完熟するまで食べられるものです。若いときは野菜として、完熟した後は果物としてまたキャンデーとしてよくみやげ物店で見かけます。乾燥果物ではありませんが、味は柿のような味で健康食品です。種が大きいのが悩みです。

外見は何かに似ていますから日本人にはめづらしがられますね。

お子様が大きくなって頼もしいですね。立派な家で金持ちの日本人になってください。

MMK

おはようございます。

今の日本は少子高齢化で国としての勢い・輝きを失いつつあります。

子供達は少子化の影響で他の子供と接する機会が無く、内向きに育てられることが多くなっています。

僕は心療内科もやっているのですが、今までの鬱とは異なる、新型の鬱が出て来ていて驚いています。

OMのいらっしゃるラオスが50年後に今の日本の様になるかどうかは、僕には想像も出来ませんが(この世に居ないし....)、昭和の初期はこんな感じの田舎が多数あったのはうなずけます。

なぜ新型うつ病という言葉を使うのか

ある先輩の語ること。


*****最近のうつ病は昔のうつ病と違うなあとしみじみ思うところがあるわけで
そこを新型うつ病と呼んで昔のうつ病と区別してみたいということがある


まず
うつ病の定義が厳密で昔と同じならば
新型などというものになるのはかなり難しい話だ


まず第一はうつ病の定義または診断基準が変わった。現実にはゆるめられた。簡単になった。
これは学問の成果ではなく政治力。
第二にそれによってうつ病の意味する範囲が拡大した。拡大しすぎて、
うつ病と聞いただけでは何も分からないくらい。


原因にも言及せず
病前性格にも言及せず
状況についても言及せず
そのようにして定義した


そうすると雑多な状態がうつ病として登録されることになった


神田橋先生が提案したように
精神科の診察での観察として
1.言葉
2.意識的表出
3.無意識的表出
の三つの層で観察して、
昔のうつ病はこの間に一貫性があった。矛盾がなかった。


1.言葉。とんでもないことをしてしまいました。もうわたしは死ぬしかありません。
2.意識的表出。涙を流し、悲しみに暮れている。→自分でコントロールできる部分。
3.無意識的表出。目の表情が限りなくつらい。声のトーンが悲しみに小刻みに震えている。微細な汗の症状が出る。→自分でコントロールできない部分。
これが古いうつ病である。


最近のうつはこの3つに一貫性がなくて矛盾がある場合がある。それは新型というしかないだろう。


*****
たとえば
自分はうつだとうそをつこうとしたとしてどうなるか


1.言葉。これは単に言葉だから嘘をつける
2.意識的表出。これは泣くまねをすればいい。悲しそうにしてため息をつけばいい。大根役者でもできる。
3.無意識的表出。たとえば瞳孔の反射とか、毛根の反射とか、そのようなあたりまでコントロールできる人はいない。ヨガの達人などはできるのかも知れないが、凡人には無理である。


もちろん、嘘をつこうとしているのではない。それは分かるのだけれど、
この3つのレベルで矛盾があるのである。


3つのレベルに矛盾があるものが新型うつ病である。


*****
似たようなことは
精神病者が
悲しい内容を喜びの表情で語り、それが奇異に映るということにも通じる。


*****
しかしながら、サラリーマンが休暇をもらって、ハワイに行くということについてみれば、
現代の若い人はそれ自体奇異と思わないかも知れない。


ところが、それまでのその人の人生を考えると、奇異だと思われる場合がある。
エリートコースを歩んできて、大企業新橋本社または汐留本社に勤め、
将来を嘱望され、これまでのいろいろな積み重ねもあり、業績をあげてきた、という人が、
うつ病の診断書をもらってハワイに遊びに行くというのでは、
やはり辻褄が合わない。了解不能である。普通に有給を使ってハワイに行けばいいことだ。
頭のいい人なら業務でのハワイ出張を組んで出かける。
お医者さんは国際学会と称して観光しているし
役人は視察と称して観光している


それとは別に
ある種の仕事をしていて、ある種の人生の歩みをしてきた人が、
言葉の上でうつ病ですと語り、ある種の診断書を書いてもらって、ハワイで遊ぶというのは、矛盾でもないし、了解不能でもない。
そのような人がいるだろうということは理解も了解もできる。
これは新型うつ病でも何でもない。昔からいた。昔は医者に行っても追い返されただけである。


*****
うつ病で休んで出世が早くなることはない。
給料が増えることもない。
それでも、うつ病で休暇を取りたいのだという。


古いうつは、自分は絶対休まないと言い張り、
医者は、ドクターストップだから、休んでくださいとお願いしたものだ。


新型うつ病と古いうつ病の、この差を経験すると、両者は別のものだと考えるようになる。


*****
そのあたりを総合して、奇異であり、了解不能であるという場合に、
新型うつ病とわたしは呼んでいる。


*****
なぜこのようになるかといえば、
世界モデルが違っているのだというしかないだろう。


人生観と価値観が違っているとしか言いようがない。
この先どんどん職場での立場がなくなって
結局転職を繰り返し
仕事がどんどんつまらなくなっていくだろうと
見えてはいるが
そんなことは判断材料にならないらしい。


*****
そうですね、先輩の言うことも、もっともだ。
まあ、うまいものでも食べましょう、ということになる。

CCより。

米塚様
KKです
お元気ですか?

私は5年半前にインドネシアに赴任し
すぐに50年前の日本だ。
とノスタルジックに浸ったものです。

物質的にはとても貧乏なのに
精神的には現在の日本人よりも とても
豊かだ。と思いました。
まさに日本人は物質を手に入れた代わりに
人として最も大事な物を失ってしまった。
と痛感しました。

タイは インドネシアと日本の中間でこれから
何年かでまさに大事な物を失っていく
過渡期であると、思いました。
ベトナムは田舎はインドネシアと一緒のレベル
かなと思います。
HANOIは徐々にタイ化(退化)しつつあるようです。

我々以上の年代者がアセアンを求めるのは
決して、若い女子のエキスだけではないような?
気もしています。

日本人の心が砂漠化し続けるのに歯止めをかけるのは
我々世代がラストチャンスでしょうね?
もうテレビっ子が50歳代後半ですから、
ラジオっ子の想像力を求められない状況です。

私は 長嶋のデビュー戦、金田が快速球で長嶋を
4打席、4三振に葬ったとき、の光景が今でも
鮮明に脳裏によみがえります。
12回バットを振り1回だけファールチップ。
映像で見るよりはるかに 記憶に残った。
ラジオ放送による 想像場面です。

井戸を汲みバケツで繰り返し風呂おけに水を入れ、
枯松葉で火を付けてマキで風呂を沸かした。
今思えば、何と 無駄な、重労働が 我々世代の
原風景です。ボタンひとつ押し、湯張り できました。
のアナウンスで入る 風呂の味気なさを感じる
世代は確実に世の中の隅っこに追いやられるわけですから、

人間ほど、考えようによっては どうしようもない動物っていませんよね。
どうしようもない子供が親になり、その子供を育ってて行くのですから
崖を転がり落ちる石のようなもの、
もうどうにも 止まらない!ですね。


> 米塚様

> いいですねえ、リヤカー、大八車の野菜売り。
> 僕は田舎とバンコクの接点のランシットに住んでいますが、野
> 菜売りはチリ紙交換のように車でやってきます。

> 学生時代に夏休みを京都で過ごしたことがありまして、野菜売
> りの呼び声を聞いたことがあります。
> バンコクに来てからも、しばらくは裏町暮らしで、物売りの声
> をよく聞きました。           

 EE拝 


●いま TV番組「坂の上の雲」で正岡子規がでてきます。

 東大予備科・英語ができない彼を笑うのが、夏目漱石・・・もう俳句のプロは江口様はご存知の様にその漱石がその後・東大へ教授として戻るのですが・・・そのおかげで追い出された雇われ外人教授(当事は帰化済?)が小泉八雲です・・

その小泉八雲は・・松江時代・・がむしゃらに日本の良さを一瞬でも逃さまいと聞き耳を立てて鋭く追求します。 だがその日本の音の美的評価について英国大使館(または日本学の権威)の友人英国人と大紛争になります。

 小泉八雲の感じる・美しい朝の日本の音とは・・引き戸を開ける音、下駄で歩く音、蜆売りの声、大八車のきしむ音・・・全てが美しい Music Soundですが・・彼の友人には全てがNoise・・・この感性の差は埋め難く・・・結局二人は離別しますね。

「裏町暮らしで、物売りの声をよく聞きました。」それをSound として捕らえられない人はたぶん俳句は理解できないでしょうね。


その 小泉八雲ですが、日本へ来る前は新聞記者としてカリブ海の仏領マルティニーク島に赴任しますが・・私はその島合計5回は行きました。

米塚廣雄



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